はじめまして。「女性の心と体を癒すかかりつけアドバイザー」の松田幸子です。
私のことを「ジュニアスイマーのサポートをする公認スポーツ栄養士」としてご存じの方もいらっしゃると思いますが、普段は「40代以上の女性をサポートするパーソナルトレーナー・管理栄養士」として活動しています。
今回は、私がなぜこの活動を続けているか、自己紹介を兼ねてお話します。
夢が芽生えた10代
私はジュニアスイマー時代の合宿の食事が原因で肩の肉離れを起こしました。その時、スポーツドクターなどの専門家は身近におらず、競技をやめる決断をしました。
その後、高校1年で小学生に水泳を教える機会があり、キラキラした目でプールに入る児童を見て、「子どもたちに私のような思いをしてほしくない」と考えるようになりました。
女性の個別指導に興味が湧いた20代
自分のケガの理由を知りたくて、栄養学を学ぶために大学へ進学しました。そこで「競泳選手の食事サポートをする」という明確な夢が出来ました。
今から30年前のことです。競泳選手向けに栄養指導をするような就職先はありません。運動指導にも興味があったため、方向転換しフィットネス企業に入社しました。
当時はフィットネスクラブにほとんど栄養士はいませんでした。会員は30代~50代の女性が多く、私が栄養士と知ると毎日質問攻めにあいました。質問は全く異なる物で、種類の多さに驚愕しました。回答するのは大変でしたが、皆さんの笑顔を見るにつれ、大人の健康増進・健康維持へ興味がシフトしていきました。
全店で10指に入るパーソナルトレーナーになった30代
婦人科系が弱かった私は、早朝から深夜までという正社員の勤務形態で体調を崩し、生活リズムを取り戻すため正社員からアルバイトに契約を変えました。ちょうどその頃、フィットネスクラブでパーソナルトレーナーを導入することになりました。
パーソナルトレーナーという肩書きなら、自分でスケジュールをコントロールしながら栄養指導をすることもできます。早速試験を受け、パーソナルトレーナーとして20代から70代の女性に寄り添ったトレーニング・食事指導を行い、全店で売上が10位以内に入るパーソナルトレーナーになりました。
お客様のお子さん、特にスポーツをするお子さんについて相談を受けるようになりましたが、クラブ規定で子どものセッション利用は出来ず、打開策を考えていました。
震災と独立、運動・食事・心のケア 競技サポートの40代
40代にさしかかる頃、日本体育協会(現:日本スポーツ協会)公認スポーツ栄養士講習会を受講しました。試験を受け、合格発表の数日前に起こったのが東日本大震災です。フィットネスクラブは一時閉鎖、「クラブがなくなれば仕事が出来なくなる」と感じ、同業の主人と話し合いました。
フィットネスクラブの営業再開後、お客様ご自身やご家族の体調不良についての相談が増えてきました。「安心して相談できる場をなくしてはいけない」と強く感じたことで、2013年、主人とともに練馬区大泉学園エリア初のパーソナルジムを開業しました。
ジュニア選手と保護者のサポートは「何よりも心のケアが重要」と感じ、パーソナルジムとしては珍しい「運動・食事・心のケアでトータルサポート」を掲げました。コロナ禍でも3つの柱を意識した営業を続けたことにより、お客様の健康維持に貢献することが出来ました。
女性の一生をサポートする50代
私が30代の時に60代のお客様にこんなことを言われたことを思い出します。
「私が倒れたら家庭は崩壊しちゃう」
あれから20年経ち、今月、私は54歳になりました。30年間、女性の体をみてきたことでわかったことがあります。
- 50代はまだまだ動ける。
- 60代は徐々に健康格差が出始める。
- 70代は劇的に健康格差が出る。
- 80代は要介護の有無がハッキリする。
私と同じ世代の女性は、親の介護問題、子育てと大忙しです。自分の事は二の次で気がついたら年を重ねていませんか?
この年代の女性は家庭の中心にいて、家族をあたたかく照らす人だと私は思っています。それを継続するには今の自分にも目を向ける事が大切なのではないでしょうか。
そして、これから
人間は当たり前に出来たことが、いつか出来なくなります。そうなる時期は1人1人違います。本日、40代、60代、70代女性のセッションを行いましたが、普段から体を動かしているお客様は、体が動かなくなる日はまだまだ先だろうと思っています。
「共に進むサポート」で地域に根付き13年目を迎えた私のパーソナルジム「リコンディション」では、そのような方が1人でも多くなるよう活動を続けていきます。マイミータスでもそのエッセンスを紹介し、あなたが家族を照らし続ける時間を増やすことが出来たらうれしいです。
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