山梨のぶどうの季節は、歴史の深みとともに始まる

山梨の夏が折り返しを過ぎました。
中央道下りの勝沼インターを降り一般道に入るともう周りはぶどう棚だらけになります。
山梨のブドウ栽培っていつからなのかな、とふと疑問に思って調べました。
すると、山梨のぶどうには、私が思っていた以上に長い歴史がありました。
800年とも1300年ともいわれる時間です。
山梨のぶどうは、山で見つけた一本の蔓草から?
山梨のぶどう栽培の起源には、二つの古い伝承があるようです。
ひとつは奈良時代。
甲州市勝沼の大善寺を開いた僧・行基が、山中でぶどうの木を見つけたという話。
もうひとつは鎌倉時代、勝沼の農民・雨宮勘解由が山道で珍しい蔓草を拾い、育てたところ甘い実がなったという話。
どちらが本当かは分かりません。
しかし、山梨のぶどうが「山で見つかった野生の蔓草」から始まったという物語は、いかにもありそうな話ですよね。
庭仕事をする身としてイメージができます。
甲州種の栽培は「1300年とも800年ともいわれる」と山梨県の公式資料にも記され、
この地のぶどうがいかに長い時間を生きてきたかを物語っています。
江戸時代、山梨は“ぶどうの国”になった
なんとなんと
ぶどうが本格的に産業として育ったのは江戸時代です。
勝沼の永田徳本が 1615年に「甲州式ぶどう棚」を発明し、湿度の高い日本でも安定して栽培できる画期的な技術が生まれました。
この棚は現代の棚栽培の原型であり、全国のぶどう畑のスタンダードになっています。
江戸の人々は甲州街道を通じて勝沼のぶどうを味わい、
紀行文や俳句にもその風景が登場します。 松尾芭蕉が「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」と詠んだのは有名です。
明治の殖産興業、そして昭和の“世界初の技術”へ
明治になると、勝沼で日本初期のワイン醸造が始まり、
ぶどうは「果物」から「産業」へと姿を変えていきます。
さらに昭和34年、山梨県果樹試験場が
世界で初めて“種なしぶどう”の技術(ジベレリン処理)を確立。
デラウェアから始まったこの技術は、巨峰・ピオーネ・シャインマスカットなど、
現代のぶどう文化を大きく変えました。
山梨のぶどうは、伝承から技術へ、そして産業へ。
長い長い時間をかけて、生産量・栽培面積でも日本一に。
今の豊かな旬へとつながっています。
8月下旬は、黒系ぶどうの季節
そして、いま。
8月下旬は、山梨のぶどうシーズンが一気に色濃くなる時期です。
出てくるのは、黒系の大粒ぶどうたち。

● 藤稔(ふじみのり)
黒系の中ではもっとも酸味が穏やかで、果汁が多く、やわらかい甘さ。
8月下旬が旬のど真ん中。
● 巨峰
甘さと酸味のバランスが良く、昔ながらの黒ぶどうらしい味わい。
誰が食べても「これぞぶどう」と感じる王道。
● ピオーネ
黒系の中ではもっとも酸味がしっかり。
濃厚なのにキレがあり、後味が長い。
秋の深まりを感じさせる味。
黒いぶどうは、甘さだけでなく酸味の深さで季節を語ります。
ふじみのりの柔らかな甘さから、巨峰のバランス、
そしてピオーネのキリッとした濃さへ。
山梨のぶどう畑は、秋へ向かう味のグラデーションそのものです。
そして、シャインマスカットの季節へ
甘く爽やかなシャインマスカットは、8月下旬から“走り”が始まります。
勝沼の棚の緑が少しずつ黄金色を帯びていくのは、
秋の訪れを告げる合図のようです。

山梨のぶどうは、歴史と季節が重なる果実
勝沼の少しの高台から眼下に広がるぶどう、や韮崎の丘の上に広がるぶどう。
これまでとは景色の見え方が違ってきます・・・
そこには奈良・鎌倉の伝承、江戸の技術、明治の産業、昭和の革新、
そして今の旬がすべて重なっているのだなと。
山梨のぶどうは、ただの果物ではなく、
土地の時間そのものを味わう体験です。
8月末、旬の黒系ぶどうを味わいながら、
いつも車窓から眺めているぶどう棚の向こうにある、長い歴史にも思いをはせてみようと思います。
参考文献・出典(コラム内の歴史的記述の典拠)
山梨県公式サイト「甲州ぶどうの歴史」
甲州市勝沼町教育委員会『勝沼のぶどう史』
大善寺(甲州市)公式資料:行基とぶどう伝承
山梨県果樹試験場「ジベレリン処理による種なしぶどう技術の確立」
『甲斐国志』江戸後期の甲斐国地誌
荻生徂徠『甲州紀行』
松尾芭蕉『笈の小文』「勝沼や 馬子も葡萄を食ひながら」
山梨県ワイン酒造組合資料「明治期の葡萄酒醸造の始まり」